明治末期のガム事情
これまで、日本におけるチューインガムの元祖は、通説として、大正時代に銀座にできた「リグレイ」とされてきました。
一部文献では「明治末期に大阪の足立商会(フエキ糊の発売元)が、ジェルトンを基材に砂糖・薄荷を加えてチューインガムを製造することに成功。
製品はセンセンがむとして6枚入り5銭で薬局を中心に販売した」(「チューインガムの製造と原料の知識」)と記述していますが、およその書物はリグレイを濫膓としています。
たとえばここに、帯に『食文化の発展を精緻に検証』と謳う、「近代日本食文化年表」(小菅桂子、雄山閣)という書があります。
これを見ると、大正5年に「チューインガムのメーカーとして知られたリグレイが日本に上陸してリグレイ株
式会社を創立し、はじめての国産ガムを販売」と通説を踏まえた記述をしています。
しかし、私は今回の調査で明治末期にチューインガムが国産化された事実をつかみました。
明治43年7月には、『菓子新報』という業界紙の「読書倶楽部」に、こんなことが書いてあります。
「チューイングガムと称する新菓は評判ほどの価値は無き様なり
此の菓子をロに含めば唾液を生ずる故学生等の運動用に良しと広告せるは、誇大の言にして信ずるに足らず
夫れには梅干にてたくさんなり」
すでにチューインガム批判記事が掲載されているのです。