リグレイガム上陸 その2
しかし、菓子新報の大正4年12月10日号では、「チウインガムの売れ行き如何」と題して、銀座尾張町の「ザ・ホスピタル・サプライ会社」を訪問した記事が掲載されており、ここの会社はアメリカからガムを輸入販売していたようです。
残念なことに固有名詞の記述がないのですが、これがリグレイである可能性もあります。
しかも「以前は他の会社で引き受けていましたが、今回本社が東洋の総代理店となりました」といっていることから、もしかしたらリグレイが明治末期には上陸していたのかもしれません。
当時は価格が高かったが学生によく売れていたそうで、東京より大阪の商人が買い付けにきたそうです。
大正5年8月、時事新報では、「リグレー式チウインガムと軍隊」と題し、「英仏両国の政府が毎月莫大なるリグレー式チウインガムを戦線暫壕内の将卒に供給して居る」と報じました。
このころすでにガムが軍事に使用されていたことがわかります。
リグレイが銀座新橋際に進出して盛んにガム宣伝をおこなっていたのは大正8年頃。
ガムブームの昭和30年代後半に出されていたガム同人誌「我無」誌に、希代の趣味人、池田文痴菴が「リグレー・チゥインガム発売の頃うら話や最初の広告」という一文を寄せています。
長くなりますが引用してみます。
「次は本筋の『リグレー・チウインガム』これが市場に現れたのも此の年(※著者注大正4年)であり、初めは縦半頁の特異の広告を以て進出してきた(池田稿本・菓子類新聞広告史大正元~5年)」
と、リグレー進出が大正4年であると池田氏も述べています。